川の上・百俵館の由来と思い

「川の上・百俵館」は大正時代にできた元々大谷地農協が精米や搾油をしていた農業倉庫を改修してできた場所です。百俵館では、小林虎三郎が提唱する「米俵百俵の精神」に基づく地域の拠点を目指しています。戊辰戦争後、長岡藩は困窮していました。そこへ支藩の三根山藩からお見舞いとして米百俵が届きました。これを大参事であった小林虎三郎は、「食えないからこそ、学校を建てて人材を育てるのだ」という信念を貫き、皆の反対を押し切って「国漢学校」を建てました。それが長岡の復興に繋がっていったといわれています。石巻・川の上プロジェクトでは、新しい石巻、日本を生み出すべく、「川の上・百俵館」から「米俵百俵」の精神で、「人づくり」をはじめます。人づくりを通じて、東日本大震災からの力強い復興への反転攻勢を開始しなければなりません。米俵百俵は、今でこそただの百俵ですが、後年には一万俵になるか、百万俵になるか、はかりしれないものがあります。

百俵館のロゴについて

百俵館ロゴ

 

百俵館のロゴデザインは、百俵精神を象徴した「俵型」と、未来の川の上のまちを表現した「家型」の組み合わせで出来ています。百俵館の施設コンセプトは「教育」「居場所」「暮らし方」の提案であり、俵型には百俵館がこれら3つのコンセプトを大切に育む場でありたいという想いも込められています。

百俵館ロゴコンセプト